『日記』

ほんを読むときは適度に斜めに持っていい姿勢で読むのがいいと思いました。今日もやるべきことを何一つやらずに、やらんでもいいようなことばかりやって過ごしました。リピー塔を注文しました。はてなブログもっと書くです。今日もぼでえすんぐの服は着られませんでした。暑かったからです。着たいですやっとスタァライトの呪縛から逃れられそうだったのにグランドシネマサンシャインで再上映するそうなのでまた行くことにしてしまいました。数2の授業で数珠順列の宝石のネックレス問題が出て、宝石の国のことしか考えられなくなりました。ふゆうかんUFOはマジで神曲だなとか、やっぱテンション上がってる時しか会話はできないから、朝倉はすげえなと思いました。そういえば最近自分の好きなキャラおよび人には眼鏡人がおおいときずきましたが、朝倉やユークレースみたいなのも好きです。希は普通に首が細いのと顔のラインがシュッとしてるのがいいんだろうなと思いました。sonnyboy11話謎かったです。hirihiriの作業配信アーカイブを見て、サンプルからドラムを作るっていうのはこういうことかと思いました。あとリハビリ曲っていうのは必要なんだなと思いました。最近R&B、ソウル、ジャズ、などのブラックミュージックの良さがわかってきたような気がしました。うたうまくなりたい、正確にはグルーヴ感のある歌が歌えるようになりたいと思いました。少し歌の練習をしました。日記でした。明日からははてなブログに書こうと思います。開くのがめんどいのは問題だなと思いました。この某音楽家みたいな日記の書き方はリハビリにはすげーいいと思ったので、日記には「日記」とつけて毎日描こうと思いました。英語できるようになりテーとも思いました。テストでの点は後からついてくるもんだと思いました。

進路についての劇を書いたらおもろいかもしれないと思ったが、、、、

進路についてみんな悩んでるっぽいしみんな共感できるからそれを劇にしたらいいんじゃないか。人を感動させられるのでは。なんかそれぞれの進路を肯定できるような作品にしたいな。船引先輩のような人はどうするん?なんか万人にうけるもんを作りたいかと言われると分からんな。でも誰かを否定するような作品は作りたくないな。そもそも劇が作りたいんか?全然作りたくない。オレは自分の好きな作品たちのようなものが作りたいんだ。なのにクソな劇をやらされるのに耐えられないんだ。ドクホフのサナトリはおもろかったし、木の上の軍隊もおもろかった、サンバイザー兄弟も好きだ。だがしかしオレは圧倒的に映画やアニメや音楽が好きだ。じゃあ別にいい作品じゃなくて自分の作りたい話を作ればいいか。ならこのアイデアは当分オクラで。バンド組む話とかそういうアホな話は書いてもいいかもしれない。結構ギャグ漫画が好きなので。もし自分が話書くとしたらギャグ要素はもう絶対入るだろう。スタァライトのサントラ聴いて出る謎ドーパミンのせいでこんなこと書いてしまったが、あれの効果ほんと恐ろしいな。だからスタァライトから距離をとれって言ったのに。あれはあらすじにすると途端に歪んでしまうおっそろしい話だ。40000の服を買った最高だ。着るのは人体形成そのものなんだなと思った。これはモジュールとしての身体性とつながる。少年の君を見た。平和最高。スタァライトのサントラ聞くとなんか頑張らなきゃって気に確実になるので怖いな。

つながり

今日は人とのつながりが欲しくて電話をかけまくったが虚無った。P音は結局つながりが欲しいのかもしれない。人と喋るのは嫌いなくせに誰かと繋がりたいと願った。繋がりとはなんなのだろうか。秘密を作るのは良くないと思いディスコードのプロフ欄にTwitterを晒したが表現と言う一方通行の場において我々は繋がれるのだろうか。渡辺のクソみたいなyoutubeみてかなりかんどうしてしまった。インターネットでなんかしてる奴らは結局誰かと繋がりたいんだろうし、インターネットは人とのつながりを感じるためにやるんだなと思った。恐ろしいことだ。インターネットのような部活にしたい。オレはインターネットカスだ。繋がりたいと言う欲求は非常に素晴らしいものだと思った。だがそれはとても儚いものだとも思った。結局他人同士はお互いの全てを理解し合うのは不可能だ。同じ人物にはなれないからだ。だが、それを自覚した上でできるだけ情報を集めて知ろうとするのが最善の策といえるだろう。そうした時にアートができることとは何か、自由を与えて発信しやすくしてやることか。それもひとつあるだろう。人は根本的に他人とつながりたいと言う欲求を持っていることを自覚するのが大切だろう。他にもアートには純粋な快楽の追求という側面もあるだろう。それはある種職人的な技巧が必要だ。他にもアートにはある事柄について考えを促すというのもあるだろうし、非常に政治的な、言論の媒体としてのアートもあるだろう。その中で自分の好きなものを反映しただけの特になんの政治的主張も含んでおらず自分のため自分が作りたいから作ったというものは、その人を知る、繋がるための装置という機能を果たすのではないだろうか。ただしそれは本人をまず知っている場合のみであって知らない場合は作者によほど共感できない限り何も面白くはないだろう。俺は何がしたいんだろうか。作品は作りたい。映像も撮りたい。アニメも描きたい。企画を作りたい。だがもっとやりたいことがあるような気がするのだ。なんで作品が作りたいかというと自分が納得して作った作品は無条件に自分にとって最高な作品であるからだ。それに自分は成長している!っていうのが露骨に分かるので自尊心を満たしてくれる。それにオレは作るという作業が好きだ。なんでかは知らん。DNA。とにかくオレはみんなと繋がりたいということを自覚すべきだ。

希と野薔薇について

本当にこんなことしている場合ではない。が希と野薔薇の信念には何か似たところがあるのではないか。野薔薇が言っていた「自分の人生の席」と言う概念はかなり希もわかりみがふかいのではないか。スマホを捨てるシーンでそれを感じた。スマホを捨てると言うのは他者との無駄なコミュニケーションを嫌うってことで、近いと思う。sonny boy 10話を見てそう思った

。希は1話とか4話?くらいまではなんかまたオーガニックでスピリチュアルな価値観押し付け系のダルイやつかと思ってたけど後半に入ってからかなりいい感じに希の無根拠な地震というものを少し俯瞰で見ることができるようになったっぽくて、朝風に言われたのが図星過ぎて成長すると言う、まあそんなモンすよね。いやなことやいやな奴が自分を成長させるのかもしれん知らんけど寝るブログっつーのはおもろいな。あとかわかつとくしげのアントロポセンの犬を買ったクッソおもろいやばいテストあんのにこんなことしてる場合じゃないけど乗る汁出るのでやめれんアニメは別にそんなに好きじゃないって言うかアニメと一般的に言われているものが好きじゃないがアニメという映像技法はおもろいと思うと言うか好きだし好きなアニメはたくさんあるだからと言ってアニメならなんでも好きってわけじゃないスタアライトの色紙もらいに行かなかったのはむしろ良かったのかもしれない。ファイアパンチはいまだに好きだし機能チェンソーマン9巻読んで感動した。最高な作品は漫画も小説も映画も何度も見るべきなのかもしれない。ブログってこれであってるんだろうか。長谷川白紙のブログを見てなんかやろっかなーなんかよく分からない文章をどこかに書こうと思っていたことだしって思った。昔imoutoidのブログ読んでたし今敏のブログもめっちゃ読んだしなほぼ内容覚えてないけどスーパー小ライダーは諦めたし今んとこ一ミリも必要性感じてないが、ラーブコーディングはかっこいいからいつかやってみたい寝なきゃ。終わりかた終わらせ方が分からんからいつまでも書いちゃうなおそろしい

 

敬具