つながり

今日は人とのつながりが欲しくて電話をかけまくったが虚無った。P音は結局つながりが欲しいのかもしれない。人と喋るのは嫌いなくせに誰かと繋がりたいと願った。繋がりとはなんなのだろうか。秘密を作るのは良くないと思いディスコードのプロフ欄にTwitterを晒したが表現と言う一方通行の場において我々は繋がれるのだろうか。渡辺のクソみたいなyoutubeみてかなりかんどうしてしまった。インターネットでなんかしてる奴らは結局誰かと繋がりたいんだろうし、インターネットは人とのつながりを感じるためにやるんだなと思った。恐ろしいことだ。インターネットのような部活にしたい。オレはインターネットカスだ。繋がりたいと言う欲求は非常に素晴らしいものだと思った。だがそれはとても儚いものだとも思った。結局他人同士はお互いの全てを理解し合うのは不可能だ。同じ人物にはなれないからだ。だが、それを自覚した上でできるだけ情報を集めて知ろうとするのが最善の策といえるだろう。そうした時にアートができることとは何か、自由を与えて発信しやすくしてやることか。それもひとつあるだろう。人は根本的に他人とつながりたいと言う欲求を持っていることを自覚するのが大切だろう。他にもアートには純粋な快楽の追求という側面もあるだろう。それはある種職人的な技巧が必要だ。他にもアートにはある事柄について考えを促すというのもあるだろうし、非常に政治的な、言論の媒体としてのアートもあるだろう。その中で自分の好きなものを反映しただけの特になんの政治的主張も含んでおらず自分のため自分が作りたいから作ったというものは、その人を知る、繋がるための装置という機能を果たすのではないだろうか。ただしそれは本人をまず知っている場合のみであって知らない場合は作者によほど共感できない限り何も面白くはないだろう。俺は何がしたいんだろうか。作品は作りたい。映像も撮りたい。アニメも描きたい。企画を作りたい。だがもっとやりたいことがあるような気がするのだ。なんで作品が作りたいかというと自分が納得して作った作品は無条件に自分にとって最高な作品であるからだ。それに自分は成長している!っていうのが露骨に分かるので自尊心を満たしてくれる。それにオレは作るという作業が好きだ。なんでかは知らん。DNA。とにかくオレはみんなと繋がりたいということを自覚すべきだ。